「六角堂(寺号/紫雲山頂法寺)」は、京都一の傳本店から北西へ8分程歩いたところにたたずむ由緒あるお寺です。聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めてこの地に入った時、霊夢にてここに六角の御堂を建てるようお告げがあり、ここに御堂を建て自らの護持仏を安置されたと伝えられています。いけばな発祥の地としても知られるお寺です。
豆知識
六角堂にある礎石は、京都のほぼ中心に位置し、「へそ石」と呼ばれています。平安時代に六角堂がひとりでに動いたという説話の中でも、同じ位置に留まり続けた不思議な礎石です。
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京都市営地下鉄烏丸御池駅下車、徒歩4分
(「京都一の傳本店」より北⻄方向に徒歩8分程度)
京都一の傳本店から北西方向に足を伸ばせば、赤いレンガの「京都府京都文化博物館」が見えてきます。ここはさまざまな展示会を行っている本館と、重要文化財に指定されている別館に分かれています。古きよき町家風景とは、また一味違った京の歴史を感じさせてくれる場所です。
豆知識
明治の名建築ともいわれるレトロな外観。元は日本銀行京都支店として使われていました。
設計は、日本の近代建築の祖と呼ばれる辰野金吾氏とその弟子・長野宇平治氏が担当しています。
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京都市営地下鉄烏丸御池駅下車、徒歩3分
(京都一の傳本店より北西方向に徒歩8分程度)
京都一の傳本店がひっそりと居を構える通りが「柳馬場(やなぎのばんば)通」。京の台所として有名な錦市場を南北につらぬき、北は京都御所のある丸太町通から、南は五条通までと約2.3km続いています。この「柳馬場通」の歴史は古く、平安時代までさかのぼります。当時は「万理小路」と呼ばれており、道幅も12mほどあったそうです。
豆知識
豊臣秀吉の頃、二条通との交差点周辺には美しい柳の並木が造られました。「柳」の名前の由来はそこからきていると伝えられています。
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京都市営地下鉄烏丸御池駅下車、徒歩4分
(京都一の傳本店より北西方向に徒歩8分程度)
京都一の傳本店から錦市場のアーケードを東へ抜けると「寺町通」です。京都土産を取り扱うお店も多くあり、修学旅行などで訪れた事のある方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。現在では新旧さまざまな店舗が立ち並び、地元の人々や観光客で賑わう商店街ですが、以前はその名の通り、多くの寺院が整然と立ち並んでいたといわれています。
豆知識
応仁の乱によりこの通りは一度衰退しましたが、その後豊臣秀吉の京都大改造により、修復・再生されました。そして「寺町」と名づけられ、およそ80の寺院が通りの東側に強制的に集められたそうです。
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京都一の傳本店より東へ徒歩4分
賑やかな寺町のアーケードを三条通まで北上していくと、「矢田地蔵尊」が見えてきます。境内には暖かな色の提灯が燈されており、たくさんのお地蔵さまが安置されています。
ご本尊は、境内の奥、火辟のなかに佇む地蔵菩薩。代受苦地蔵(だいじゅくじぞう)といわれるこのお地蔵さまは、地獄で人々を救うといわれています。また、境内にある「送り鐘」は、京都・東山の六道珍皇寺にある「迎え鐘」と対になっており、珍皇寺の「迎え鐘」でご先祖様をあの世からこの世に迎え、この「送り鐘」で、またあの世に送るといわれています。
豆知識
境内では、手作りの「ぬいぐるみお地蔵さま」が販売されており、願いをかけた後、奉納することも、お守りとして持ち帰ることもできます。
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京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」駅下車、徒歩6分
(京都一の傳本店より北東に徒歩10分程度)
京都一の傳本店から北東方向に足を伸ばせば、アーケードの開けた先に、浄土宗西山深草派の総本山「誓願寺」がたたずんでいます。
ここは、謡曲『誓願寺』の舞台としても知られています。曲中に歌舞の菩薩となった和泉式部が出てくることから、「誓願寺」が芸道上達の寺として崇拝されるようになりました。本堂の傍らにある「扇塚」には、芸道上達を祈願して扇子を奉納する信仰が今も受け継がれています。
豆知識
誓願寺は、落語発祥の地とも伝えられています。毎年十月に営まれる奉納落語会には、多くの落語ファンが訪れます。
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阪急電車京都線「河原町」駅下車、徒歩6分
(京都一の傳本店より南東に徒歩7分程度)
京都一の傳本店から北東へ足を伸ばすと、龍馬が隠れ住んだといわれる木材商「酢屋」があります。
龍馬は、その活動に理解を示した酢屋6代目嘉兵衛の援助を受け、暗殺される直前までここに身を寄せていたといわれています。
幕末当時、「酢屋」の前は高瀬川の舟入だったと伝えられています。川沿いには各藩の藩邸が立ち並んでおり、各藩との折衝や各要所との連絡には格好の地であったそうです。龍馬はここに海援隊京都本部を置き、陸奥宗光ら多くの志士が投宿していました。
豆知識
現在も木材商を営む酢屋の入口には、坂本龍馬寓居之跡を示す石碑が立てられています。龍馬が住んでいたとされる2階の部屋は、ギャラリー龍馬として、龍馬の遺品などが一般公開されています。
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阪急電鉄京都線「河原町」駅下車、徒歩5分
(京都一の傳本店より北東に徒歩9分程度)
京都一の傳本店から錦市場を東に向かって歩いていくと、賑やかな新京極通に突き当たります。若者や観光客で賑わうこの通りを北上していくと、右手に見えてくるのが「誠心院」です。
和泉式部が初代住職であるこの「誠心院」は、娘の小式部に先立たれ、仏門に入った和泉式部のため、中宮彰子が父藤原道長に頼んで建立させたのが起こりといわれています。境内の北側には和泉式部のお墓が静かに佇んでいます。和泉式部を慕い、この場所を訪れる人々は昔から現在まで絶えません。
豆知識
境内をぐるりと巡ると、「水かけの行者さん」の石像や、知恵授け・恋授けのご利益がある「鈴成り輪」などが、参拝者の心を和ませてくれます。
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阪急電鉄河原町駅下車、徒歩8分
(京都一の傳本店より北東方向に徒歩8分程度)
京都一の傳本店より錦市場に入り、東に向かうと見えてくるのが「錦天満宮」。地元では「錦の天神さん」の名で親しまれ、学問や商売繁盛の神様として知られています。この「錦の天神さん」の歴史は古く、創建は平安中期とされています。天正15年(1587年)、太閤・豊臣秀吉の都市計画により現在の地に移され、その頃から「錦天満宮」と呼ばれるようになっています。
豆知識
入り口の大鳥居は、後に立てられた両側の建物にはさまれ、中にめり込んでいるという珍しい形となっています。ほかにも、境内に湧き出る「錦の水」や、全国でも珍しい「からくりみくじ」など名物がたくさんあります。
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阪急電鉄河原町駅下車、徒歩3分
(京都一の傳本店より東に徒歩8分程度)
京都一の傳本店から少し南に下がったところに、京の台所として知られる「錦市場」があります。東は寺町通から西は高倉通までの間(全長約400m)には、青果や鮮魚など、およそ130店舗が3mほどの路にひしめき立ち、都人の食生活を支えています。
豆知識
錦市場には京都ならではの食材が並び、お土産購入や食べ歩きなど色々な楽しみ方があります。
営業時間は店舗ごとに異なりますが、10時から18時が中心営業時間帯となっています。
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京都市営地下鉄烏丸御池駅下車、徒歩3分
(京都一の傳本店より南に徒歩1分程度)
7月の京都といえば、「祇園祭」。大阪の天神祭、東京の神田祭とともに日本三大祭のひとつとして数えられるこの「祇園祭」は、 その歴史の長さ、山(やま)や鉾(ほこ)と呼ばれるきらびやかな山車、そして1カ月にわたる規模の大きさから広く知られています。
この「祇園祭」の起源はおよそ1100年前、京都に疫病が流行した際、人々が災厄を鎮めるために牛頭天王(ごずてんのう)を祭ったのが始まりと伝えられています。
豆知識
祇園祭のなかでも有名なのは、「山」「鉾」と呼ばれる山車が、京都市内を巡行する「山鉾巡行」(17日)です。現在32基ある山鉾のうち、29基が重要有形民俗文化財に指定されており、豪華絢爛な山車が練り歩くその姿は圧巻です。
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「宵山」「山鉾巡行」ともに京都一の傳本店の近隣にてお楽しみいただけます。
京都一の傳本店から四条通りを東へ歩いたところ、百貨店のビルが立ち並ぶ四条寺町の交差点の南に「火除(ひよけ)天満宮」があります。
この「火除天満宮」の起こりは天正7年(1579年)。筑紫国(福岡県)の戦乱を逃れるため、一人の老神官が大宰府より菅原道真の像を背負って京都に入り、六角通の周辺に祀ったのが始まりといわれています。そして慶長2年(1597年)、そこから現在の四条寺町の地に移されました。
豆知識
元治元年(1864年)の蛤御門の変によって、市中は戦乱の炎に包まれましたが、ここ火除天満宮の周辺だけは類焼を免れ、焼け残ったと伝えられています。また、明治以降も三度の戦火に見舞われましたが、不思議と火除天満宮周辺の一帯は火難を逃れたといわれています。
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阪急電車京都線「河原町」駅下車、徒歩5分
(京都一の傳本店より南東に徒歩7分程度)